ガスマスク五号室のDepression【第二話】

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「八階があるのは、あちらの病棟のみです。面会時間は六時までとなっております。それまでに退室いただけますよう、ご協力をお願いします」

私は丁寧に案内をした女性看護師に礼を言い、乗り込んだエレベーターのボタンを押す。彼女曰く、私がいるこの建物は入院病棟で、即ち会うべき人物が現在進行系で入院していることを指すのだろうか。

私はガラス張りのエレベーターの側面から景色を眺める。どうやら私の目に狂いはなく、周囲には豊かな自然が広がり、ゴルフ場や公園が隣接され、”優雅な病院ライフ”をこれでもかと主張していた。

「まさに名古屋の下品さ爆発……。そりゃあ東京に田舎だって言われるよ」

何処かで負けた気分にさせられながらも、到着したエレベーターの扉が開く。妙な名残惜しさに背を向けフロアへ降りると、私は袖の案内表示に目を通す。しかし指で追うように言伝の病室を探すも目指す部屋は見当たらない。四の付く部屋が無いのはまだ分かるが、五号室は聞いたことがない。

「六とか七はあるな。てことは案内表示から消してるってことか」

もう一度マップを見直せば、どうやら中に怪しげな病室があることに気付く。部屋番号の上にシールが張られ、光に透かしてみればどうやら数字が浮かんで見える。

「探偵の病室くらい自分で探せって意味か。随分と時代錯誤なことを。……まさか八十過ぎの老人とか。その時は迷わず帰らせてもらおう」

私は頭を掻きながらシールの部屋を目指した。次第に薄暗くなる廊下を見回しながら、人とすれ違うことのない不思議な空間をただ進む。それどころか、人が存在する雰囲気すら感じられず、私はどこかに迷いこんしまったような、おかしな感覚に苛まれた。

「ついに蛍光灯まで無くなったぞ。外観は新しいのに一体どうなってるんだ。マップではこの先だったが……」

廊下の先にあるのはスジ程の光。しかしどうにか見えるスジの行き止まりに、間違いなく扉が見えていた。そしてそこには番号が書かれ、『五』の文字が、克明に、かつ不気味に、闇間に浮かんでいた。

「……”五”だな。ただ、中も真っ暗だ」

私は人の存在を確かめるよう、曇りガラスになった扉前で耳を澄す。誰かが中にいるならば、生活音がするはずと聞き耳を立てた。数秒後、何処かで聞き覚えのある異音が隙間から漏れ出た。

音は酷くこもり、シュコーシュコーとリズムを刻みながら続いていた。例えるならば、人工呼吸器の音に近い。

「ひょっとして探偵どころじゃないんじゃないか。入った途端、心臓が止まりました、なんて洒落にならないぜ」

しかしこのまま帰るわけにいかず、私は意を決し小さくノックをした。しかし反応はなく、引き続き小気味良い音が聞こえるだけだった。

「部屋を間違えたか」

そう呟いた時だった。こちらの動きを見越したよう、なにかが動く音がした。

「誰かいるのか」

今度は語りかけるように呟いてみる。するとようやく、中の人物が口を開いた。

 

どうぞ…… (シュコー)
お入り下さい…… (シュコー)

 

受話器越し耳にした声と同じか、くぐもった言葉が漏れる。どうやら人がいるのは確実らしい。私はしっかりとノックし、「失礼します」と横開きの扉を開ける。しかし見ていたとおり暗い室内は一筋の光もなく、様子はわからない。

「どなたかいらっしゃいますよね」

恐る恐る声を発してみるが反応はない。

「冗談ならいい加減にしてもらえますか。私は依頼者ですよ。病気なら病気で構わない。しかし受けられないなら受けられないと、電話の段階で断っていただけませんか」

苛々を募らせた私の語尾は上がっていた。薄すぎる反応と場の空気に、ただ不安だっただけかもしれないが。

『……聞こえています (シュコー)』

話したかと思えば、また止まる。私はついに我慢が出来ず、手探りで照明のスイッチを探した。しかし入り口近くに存在するであろうスイッチは見つからず、諦めた私は必ず存在する病室の窓ガラスに目星をつけた。

「こんな場所じゃ話も出来ない。窓、開けさせてもらいますよ!」

私は了承も取らず壁伝いにズカズカと踏み入り、感覚を頼りに窓枠らしき凹凸を探す。爪先が告げるガラス特有の軽い音が部屋に響けば、私の手は自動的に閉まったままの鍵を開けていた。

「お、お待ち下さい!(※以下シュコー略)」

制止する声を無視し、窓枠の端で固定された布切れを掴み、勢い良く引き剥す。すると枠からこぼれ出た外の光が差し込んだ。

「これでやっと中が見える」

その光を頼りに、私は奥にいるであろう人物を探した。しかし私は、そこで生涯忘れえぬ光景を見ることになる。

 

…… なんだ、コレ

 

まるでスローモーションのようだった。

奥には大きなベッドが置かれ、上にちょこんとなにかが座っている。
ただ座っているだけならば、私も驚きはしない。下から順に流し見した私は、その人物の顔に差し掛かったところで、大きな声を出していた。

「が……」

言葉が出てこなかった。どこかで身の危険を感じていたからなのかもしれない。

「が……」

私は意を決し、『が』に続く言葉を大声で叫ぶことにした。その決意だけは、今も鮮明に覚えている。

 

『 ガスマスク!? 』

 

文字通り、大袈裟なほど大きなガスマスクが宙に浮いていた。表情すら読み取れぬほど顔全体を覆い、人物が男か女かすら読み取ることはできない。

「な、なんだあんた、ふざけるのもいい加減にしろよ!」

私が虚勢を張った瞬間、廊下から大きな音が飛び込んだ。酷く慌てたその音は、瞬く間に光源に気づき、目の色を変えた。

紫都しづさん、なにがあったんですか!? ……ば、馬鹿な」

入ってきたのはどうやら男で、窓枠を触るこちらを凝視していた。怒りを帯びていく男は、最短距離で私へ近づき肩を掴むと、「馬鹿野郎」と私を引き倒した。

「急になにするんだ!」

場に倒れこんだ私が威嚇するも、男は構わずどこからか取り出したテープを千切り剥がされた布を壁に固定し始めた。私は慌てた男の様子に、意味もわからぬまま呆然とするだけだった。

光のスジすらない空間に戻った頃、男は私を睨みつけた(と思う)。暗闇に慣れた目を凝らしてみれば、男は私を指さし、大声で怒鳴りつけた。

「一体どういうつもりだ! お前のやったことは、暴行や傷害。いや、そんな生温いことではない、殺人未遂だ。事件として警察に突き出してやるからな!」

はぁはぁと肩で息をし、男は瞳孔の開いた私に向かって一頻り言うと、ベッドの人物へ駆け寄った。「大袈裟ですよ」と諭すベッドの人物をよそに、「殺します」と恐ろしいことを言う男の顔も、私は生涯忘れないだろう。

「大丈夫ですよ。窓は紫外線対策をしてあります。建都けんとも知っているでしょう。あなたは私のこととなると、見境が無くて困ります」

ベッドの人物は異音を奏でながらも淑やかに男を宥めた。そうして落ち着きを取り戻した男に深呼吸を促し、ようやく元の静けさが訪れる。

「な、なんだよ、この茶番は」

私は状況も掴めず、腰を付いたまま呟く。声に反応した男は、キッとまたこちらを睨みつけた。

「お前、どこの人間だ。前のチンケなチンピラの仲間か。こんなところまで嫌がらせなんて、どれだけ暇人だ!」

私は男を睨み返した。どんな状況か知らないが、舐められたままでいるのが癪だっただけだが。

「あんたらが来いって指定したんだろう。それがこの扱いか、ふざけるのも大概にしろよな」

私は勢い良く立ち上がり尻を払う。こんな茶番に付き合うつもりはないとばかり、今度は私が男を指さした。

「今回はなかったことにしてもらう。キャンセル料など払うわけもない。訴えるならば構わない、こちらもそれなりの対応をさせていただくよ」

私が壁伝いに移動し入り口に手を掛けると、今度はベッドの人物がか細い声を上げる。と続く呼吸音の切れ間から「お待ち下さい」と、確かに私を止める声が聞こえていた。

「し、紫都さん、なにを。こいつがしたことを忘れたんですか。殺そうとしたんですよ!?」

「だから早とちりだと言うのです。殺すおつもりならば、直接ナイフを向ければ良いでしょう。その方は様子が見えないからと光を入れようとしただけのこと」

「紫都さんのことを知っている人間が、そんな”馬鹿な”ことをするはずがありません! 依頼者には、私が内情を知らせています。知らないコイツは、間違いなく襲いに来た不審者ではないですか!」

「そうでしたか。建都が不在でしたので、私が依頼者様に返事を。事前に依頼者様に内情をお話していたとは知らず……、申し訳ありませんでした」

「勝手に返事をした!? あれほど勝手にメールを見るなと言っているじゃありませんか。取次は私に任せて下さいと、いつも言っているでしょう……」

私を無視し話を続けている。帰ってしまうことも可能ではあるが、釈然としない私は、わざとらしく咳払いをしてみせる。すると思い出したようにベッドの人物は、ゆっくりと向き直り静止した。

「私の対応がいたらず申し訳ありませんでした。依頼者様になんという粗相を。反省しています」

怪しげなマスクが縦に揺れる。本気なのか、それともふざけているのか。判断しきれない私は「はぁ」とだけ生返事し、気怠くドア枠に手をかけた。

妙香みょうこう高之たかゆき様、で宜しいでしょうか。数々の不手際、お許し下さい」

何度も声を聞いている内、その人物の性別がわかってくる。その声は小さくこもっているものの、どこか透き通り、男であるはずがない。

「妙高様、よろしければ扉もお閉めいただけないでしょうか。私、少々紫外線に弱い体質でございまして……」

幾度となく前後するマスクに口を歪めながら、私は仕方なく扉を閉めた。一切光がなくなった室内は、これまでに増して闇に包まれた。

「建都、照明を点けて下さる? 依頼者様のお顔をしっかりと確認したいですから」

「本気ですか?」と問う男に女が頷けば、たちどころに明かりが灯った。そこでようやく、私はしっかりと二人の顔を見ることに成功する。

「私が病弱なため、依頼はいつも建都けんとが受けているのですが、この度は別件で不在にしており……。私が直接連絡をさせていただきました」

灯された光の中、改めて私は部屋を眺めた。暗闇ではわからなかったが、窓枠は布製のシートで閉じられ光の一つも届きそうにない。照明にしても、一見では設置場所すらわからず、どうやら間接照明がどこかに置かれているようだった。

最後に私は二人を見た。片や横に立つ男は、少しばかり私より幼く見える。身長は百八十ばかりだろうか、痩せ型だが私を突き飛ばしたところを見るに、鍛えているに違いない。ベッドに座る女は、暗闇で見た時と同様、軍用の不気味なガスマスクを目深に被り素顔を晒すことはない。

「本当に依頼者なのか。誰だか知らないが、依頼者だと言うのなら身分を証明してみせないか」

男がまた私に苛立ちを見せる。なぜそんなに不機嫌かと問う気を押し込め、私は女に訊く。

「妙香高之と言います。本来ならば依頼を、と思っていましたが、どうやら縁がなかったらしい。お連れの方もご立腹のようですし」

嫌味を込めてそう言うと、男はまた頭にきたのだろう。歯を食いしばり、私を威圧した。

「お前は考えなかったのか。普通、少しは考えそうなものだがな。ここがどこで、暗闇の中で会うと言ってきているんだ。理由を考えてみたのか!」

「……知らんな。そちらの都合だろう。暗闇で待つ”探偵”など聞いたことがない。そもそもは事務所を持ち、形式的なやり取りがあって然るべき。このようなふざけた状況を招いておいて、勝手なことを言っているのはどちらだ?」

どうやら気の合わない私と男は、口を開く度言い合いになる。癪に障ると言うか、どうにもおれない私がいた。

「もうおやめなさい。全て私が悪いのです。私が知らせておけば、問題なかったのです。妙香様には詫びの言葉もございません。何度もお電話やメールをいただいたにも関わらず、至らぬ対応のせいで……」

またガスマスクが縦に沈む。「いえ」と言ったものの、この状況はなんだと、私自身が既にわからなくなっていた。

「今回はこれでお終いにしましょう。私は帰ります。話はここまでということで――」

私がそこまで言うと、女はゴホンと一つ咳をした。そして今度は不敵に「フフフ」と笑うではないか。私は思わず足を止め、彼女を見てしまった。それはそれは、異様な光景だった。

 

「まぁそう仰らず。せっかくですから、お話だけでもどうでしょう。私とお喋りをしても、”ワイン”はお逃げになりませんよ」

 

-三話へ続く-

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