ガスマスク五号室のDepression【第三話】

Pocket

ワインセラー
第二話はこちら


呼吸口を手で押さえ、上品に言う目前の人物に、私は思わず絶句する。私がこの女に依頼の内容を知らせていなかったからだ。にも関わらず、この女は依頼内容である”物”について言い当ててみせた。私はそれだけで、ここに留まる意味があると感じてしまった。

「……なぜそのことを? まだなにも話した覚えはありませんが」

「そうでございましたね。ふふ、あなたのことは存じております。ですが、その前に自己紹介をさせていただきますね。私は剣崎けんざき紫都しづと申します。こちらは身の回りの世話をいただいている建都です。以後、お見知り置きください」

「……私を知っていると。おかしなことを言いますね」

「お調べするのが私の仕事です故。お名前とタイミング、そして御年齢から予測させていただいた結論でございます」

「年齢って。それも伝えた覚えはありませんが……、いいでしょう。どんなカラクリですか。それだけは聞いておきたいな」

女はまた呼吸口を手で押さえ、咳をするよう上品に笑った。

「簡単ですよ。妙香様のお名前、この苗字はとても珍しく、国内では数世帯しかございません。そして妙香様と言えば……。数年前、一部で話題になりました例の件。幾らか時間が経ちましたが、その後のことが気になっておりましたため、すぐに予想がつきました。恐らくは”例の物”を探して欲しい。そんな内容なのではないかと」

「……ふむ。た、確かにそうかもしれないな。よくよく考えれば、私でも気付いたかしれない。ですが年齢はどうやって」

「わかりますとも。文章の特徴や話し方、それに家族構成だけでもわかれば、貴方様がどなたにあたるか想像するのは容易うございます。高之様は地元の学校に通う大学生で現在二十歳。最近はお慕いした女性とお別れしたとか……。お察しいたします」

赤面した私の反応を見てか、マスク越しにもわかるように紫都が笑った。短期間でここまで個人情報が漏れるものなのかと恐怖を覚えながら、私は話を誤魔化した。

「私も少し大人気なかった。ならば話だけはさせてもらおうか」

「良かった。でしたら、そこにお掛け下さい」

入り口近くに置かれた箪笥の隙間から小さなパイプ椅子を取り出した建都が、ベッドの側面に置いた。勝手に座れと言わんばかり顎で指示をする無礼な男に苛立ちを覚えながら、私はそこに腰を掛けた。

「早々に悪いが、そこまで知っているなら話は早い。実はその”ワイン”を探していただきたい、それが今回の依頼です」

「そうですか。記憶の限りでは、一本一億にも届く額の逸品だとか。私も一度拝見したく思っておりました」

私は持参した荷物の中から、新聞の切り抜きと数点の写真を手渡した。受け取った紫都の腕は、光を浴びていないためか、純白と言っていいほど白いにも関わらず、所々アザのような物が見て取れた。

「これが探していただきたいワインの資料です。四十六年産のロムニーです」

「ロムニー? 聞いたことあるな、高いワインだ」

口を挟んだ建都が半笑いで呟いた。いかにもボンボンめと言いたげな目がまた癪に障った。

「ですが妙香様。私が知る限り、四十六年にロムニーは作られていないはず。こちらは正しい情報なのでしょうか?」

感心する私に、また建都が馬鹿にした顔を覗かせる。襟首を掴みたい衝動に駆られながらも、今は目前の変わり者との会話を優先したく咳払いをした。

「公にはそう発表されています。もちろん世間には出回っていません。しかしそれは『商用販売』において、と言うのが正しいでしょうか」

「と仰ると、こちらは内々で作られた物だと?」

「そういうことになります」

私は部屋の息苦しさから、襟元を少し緩めると改めて一つ咳払いをした。「杓子定規な奴め」と口を挟む男を無視し、私は手元の写真を見るよう促した。

「戦中から戦後にかけて、ロムニーは激動の時代を生き抜きました。大戦の混乱で生産体制が整わず、ただでさえ本数の少ないロムニーは瀕死の状態に陥りました。それでも少ない資源を頼りに、最高のワインを作り続けた。気候、天候ともに最高だった四十五年、区切り年のワインはわずか六百本しか作られず、今では一本数千万という高値で取引されています」

「存じております。記憶が正しければ、ロムニーは四十五年に全面的な植え替えを行い、それから数年ワインの生産をしていなかったはず。しかし妙香様は四十六年のロムニーをと仰った」

「意地の悪い。わかっているのでしょう、そこまで知っているならば」

私は少しだけ背伸びをしながら笑ってみせた。マスクの奥の表情は読み取れないが、恐らく微笑んでいるに違いない。

「最後までお話します。ですがその前に私の曽祖父のことを話しておかなければなりません」

私はその場に立ち上がり、中から一枚の紙を出し手渡した。そこには曽祖父、妙香花穂かすいの略歴が記載されていた。

「曽祖父である妙香花穂は、古くからこの地で陶磁器の製造や販売の元締めを行っていました。今で言う”瀬戸焼”です。花穂は一次大戦後から急激に高まった陶磁器産業需要により、莫大な資産を蓄えました。ドイツ、イギリス、フランスへの輸出用から国内需要も含め、受け持った仕事を一手に束ね、各地を転々と暮らしていたそうです。のちに見つかった手記には事細かに訪ねた場所が記述されていましてね。それは一部を抜粋したものです」

紙には三十五年から五十年にかけての動向が記載されて、事細かに記された情報が間違いでないことは一目瞭然であった。

「見ていただきたいのは四十三年から六年の部分です。花穂は当時、ロムニー生産地であるブルゴニに滞在していたと記録されています。そしてその中に、今回に至る記述がされていた、と繋がる訳です」

最後の部分を見てくれと促せば、紫都は「そうですか」と一つ呟いた。変わらずシュコーと漏れる音が気になるが、次第に慣れ始めている自分もいた。

「花穂はフランスのブルゴニでも行商を行っていた記録が残っています。驚いたことに、四十三から六年にかけて、ロムニーに資金援助をした旨も書かれていました。現在の金額に換算して約十億円、それを私財で援助したと。しかしこれは個人的な援助であり、公にはしていませんでした。そのため公式な記録として残されてはいません。のちにわかったことですが、曽祖父は大変なワイン党だったようで、恐らくそれも関係したのでしょう。お渡しした写真には、当時の責任者であるヴィレジ氏と花穂が一緒に写っています」

「で? 結論を言えよ」

いつからか私の使っていた椅子に腰掛けた建都が貧乏揺すりをしながら訊く。私は黙っていろと言い捨て建都の額を指で押した。

「花穂の手記には、ヴィレジ氏に対して、ある援助をしたと書かれていました。四十四年から六年、ブルゴニは稀に見る好天で、ワインを作るにはこれ以上ない機会だった。しかし情勢がそれを許さず、生産量は極端に落ちた。農場を保持するのがやっとの中、名も知らぬ東洋人の助けは救いの一雫だったのでしょう。手を差し伸べた花穂とヴィレジ氏は最高の友人としてその後を過ごしたとされています。
見返りを求めない花穂でしたが、ヴィレジ氏は違っていた。義理堅い人だったのでしょう、彼は四十四年からずっと、季節になるたび最高の三本を妙香家に贈り続けました。……それは七十年が過ぎた今でも変わりません」

「それが”幻の三本”の所以、といったところでしょうか」

私は無言で頷いた。建都は訝しげな顔で結論を言えと騒いでいるが、紫都にはそれすら無用であるのは明らかだった。

「花穂が日本に戻った四十七年暮れ、私の家に三本のワインが届けられました。ヴィレジ氏と花穂が内々に残した畑で作られた、たった十本の内の三本。それが海を渡り、戦後の日本に辿り着いた。世間に知られていない”幻の三本”。これがあるはずのないロムニーの真実です。ヴィレジ氏の個人手記の中でも存在は確認されていますが、現存を示す証拠はなく、史実上の物とされてきました。しかし、ひょんな事からこの極東の島国、しかもあろうことか我が家から発見されてしまった。偶然もあるものです。……最後の一枚を見てください」

真黒なマスクの奥で、どのような顔が写真を覗いているのか。私は不思議とその光景が目に焼き付いて離れなかった。

「本当に偶然でした。私の祖父、妙香徳輔とくすけは、帰国して数年後に亡くなった花穂から稼業を継ぎました。内需も相まり、事業を広げていく中で、今から九年前、テレビの取材を受けました。当時私は十一歳。爺さん子だったこともあり、私は自宅でインタビューを受ける祖父にベッタリとくっついていました。その時、偶然私が手にしていた”ある物”が映像の中に映り込んでしまいました」

建都は紫都の握っていた一枚をそっと取り上げ、まじまじと見つめた。時代を感じる古めかしい一枚には、十一歳当時の高之と徳輔の微笑ましい姿が収められていた。

「なんだこりゃ、シールみたいなものか」

因縁でも付けるよう顔と写真を近付け、建都が私に迫った。面倒な奴だと睨み返す間もなく、傍らから質問に対する返答が聞こえた。

「ラベル、……ですね」

「ご名答、私は祖父の影響もあり、子供ながらにワインやシャンパンのラベルを集めるのが好きでした。祖父の飲んだワイン瓶などからラベルを集めることにハマっていました。今にして思えば、その一枚を祖父に貰ったのが切っ掛けかもしれません」

「それがこのラベルだったのですね」

「私はこの一枚を切っ掛けにラベルを集め始めた。当時はインターネットで情報を集めることも出来ませんでしたから、そのラベルにどんな価値があるかなど考えもしなかった。それが期せずして、私の集めたラベルの一部が映像として流れてしまった。ヴィレジ氏の手記により、ラベルの絵柄だけは知れ渡っていたこともあり、それを見た専門家が気付いてしまったんです。そのおかげ……、と言うんでしょうか。”それ”があったことが公になってしまった」

「嫌そうに話すじゃないか」

喧嘩腰な建都を無視し、私は二人に背を向けた。表情を読み取られるのが単純に嫌だっただけなのかもしれない。

「世間に知れ渡った日から、連日テレビや新聞が家を訪れました。しかしあるのはラベルのみで、肝心のワインは無い。するとそこから理不尽な非難を受けるようになりました。『物も持っていない癖に調子にのるな』と自宅に物を投げ込まれることもありました。一体なにが不満なのか、子供の私にはわからなかった。ただ、当時私にはもっとわからないことがありました」

「なんだよ。勿体ぶらずに言えよ」

「……祖父は取材に来た人々に、なにも答えませんでした。ワインがあるとも、過去あったとも言わず、ずっと無言を貫いた。それから祖父は『ホラ吹き』などと勝手なことを言われる憂き目にあったんです。当然、祖父以外の家族もそんなワインがあるとは思っていない。誰も祖父の心の中など知らなかった。

だけど、本当はそうじゃない。祖父は……、私一人にだけ、本当のことを教えていてくれました」

-第四話へ続く-

ランキングに登録しています



Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です