ガスマスク五号室のDepression【第五話】

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暗い部屋
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「凄い家だな」

紫都のSPとして帯同した建都が呟く。慣れている自分には普通も、所見の者は等しく同じ台詞を言った。

「普通さ、ただ広いだけの古い家さ。どうぞ、入ってください」

準備万端に整えたものの、やはり”例のマスク”をし杖をつく紫都と建都を連れ、私は荘厳とした家紋の描かれた門を開いた。

名古屋の中心に位置する邸宅は、総敷地面積が約二千二百坪、無闇に広い庭には、母屋と離れ、兄夫婦の自宅や蔵まで揃っているが、最近ではもっぱら母屋と離れしか使われていない。自宅を建てたものの、いつしか母屋に住み着いた兄夫婦を始め、今回の件で姉夫婦までが離れに寄り付く始末だ。

私は執拗に周囲を見回す建都に「別にとって食われやしない」と忠告しつつ庭を歩いた。純日本式の庭園の奥に母屋の玄関が見えていた。
ただ油断は大敵で、悪魔はいつも笑顔で近付いてくる。祖父は幼い頃から私に繰り返しそう教え込んだ。どうやら今回もその教えは正しく、安々と敷居をまたぐことは叶わない。

「あら、帰ったの高之さん。かと思えば、お友達もご一緒のようで。それにしても……、随分とまぁ個性的なお友達ですこと。これから名古屋まつりにでもお出になられるのかしら?」

目ざとく私達を見つけたのは、姉のこずえだった。数年前に結婚し小日向こひなた姓となっているものの、結婚相手の秀綱ひでつなは完全に梢の尻に敷かれ、反抗のはの字すら見せることはない。

「梢姉さん、そちらは友人の建都。こちらは紫都さんです」

少しでも怪しまれぬよう、事前に示し合わせた友人という体で返答をする。どこかでばれてしまう心配はあるが、秘密裏の行動を伴うためには友人を装う方が都合が良いとの判断だった。

「我が家の空気は酷く汚れている、そう仰いたいのかしら。気味の悪いお友達ですこと。ま、高之にはお似合いかも」

捨て台詞のように言い残した梢は、返事も聞かぬまま離れへ行ってしまった。恐らく(と言うより確実に)ワインが見つかるまで、梢が家を離れることはないのだろう。

「すいませんね、うちの人間はあんな性格の人間ばかりで」

「構いません、慣れておりますから」

紫都は変わらず機械式の呼吸音を立てながら、吸込口に手をやり笑った。いちいち凹むタマが、平気でこんな格好をするはずもないが。

「部屋を用意しますから、一先ず入りましょう。照明は身体に良くないのでしょう」

既に閉められていた玄関の鍵を開け、二人を招いた。他人曰く、無駄に広い玄関スペースを呆れるように見回していた建都の顔が印象的だった。

「普通じゃないな。こんな大袈裟な玄関、生まれて初めて見たぞ。こんなふざけた家に育ったかと思えば、無神経も頷けるな」

また余計なことを、と釘を刺す紫都を躱し、靴を脱ぎ捨てた建都は、言われるより先に綺羅びやかな内履きの選択に悩んでいた。私は「紫都さんも適当に」と一声掛け、自分専用の内履きに履き替えた。

「た、高之様! お帰りなさいませ、本日はもうお帰りにならないのかと……」

全員が靴を履き替えた頃、パタパタと音を立て誰かが屋敷の奥から駆け寄った。挨拶もそぞろに急いで三人の靴を片付け、息を切らしたまま私の前に直立した。

「改まるなっていつも言ってるだろ。先に二人に紹介しておくよ。彼女は住み込みで家政婦をしてくれている斎賀香さいがかおるさん。こっちは建都、そしてこちらは紫都さん。よろしくね」

「建都様に……、紫都様ですね。承知いたしました。ところで高之様、お食事は如何なさいますか?」

「高之様はやめてって。食事は済ませてきたから大丈夫。悪いけど、しばらく彼らも泊まるんで、部屋を用意してもらえるかな。できれば兄さんや姉さんの部屋からは遠い方が良いな」

「承知いたしました。三十分程で準備いたしますので、それまで高之様のお部屋か、来客用のお部屋でお待ち下さい」

そこまで言うと、香はまた廊下を走って行ってしまった。「ちょっと」と止める私の言葉も聞かず、背中はすぐに見えなくなった。

「家政婦までいるのかよ。格差を感じるな。世の中、不平等の極みだ」

不満を口にした建都を無視し、私が一歩踏み出した直後、建都の背負った鞄から警報音のような小さな音が鳴った。

「……ったく。紫都さん、ここにいる間は常に面のままでいてください。この家は見た目に反して古臭い照明ばかり使ってるようです。紫外線量が強い」

「建都、ものには言い方というものがあります。私は構いません。高之さん、どうかお気を悪くしないでください」

私はどうにか苦笑いで躱すものの、どうやらこの建物は紫都には刺激が強いらしい。いわゆる旧邸に近い作りの建物は、陽の光を多く取り入れるよう設計されていた。

「今夜のうちにもろもろ対応します。それに基本は夜に調査していただければ構いません。……どうせウチのも遅くまで起きているでしょうから。深夜まで皆してアレを探してるんだから」

すると、私の言葉を聞いていたのか、何処からか声が聞こえてくる。

「聞き捨てならんな。高之、お前はいつもそうして私らを小馬鹿にする」

薄暗い階段を、ライトを手にした何者が下りてくる。無意味にハイトーンの透き通った声が、私をまた苛つかせた。

章人あきひと兄さんか。まだいたの」

「まだいたの、とは刺のある言い草だ。実家に帰ることがおかしなことか?」

「八年近く一度も戻らなかった癖に、都合の良い台詞だ。相変わらず兄さんの頭の中は金だけだ」

悪意に満ちた言葉に驚いたのだろう。いつもは火に油を注ぐ役目である建都が「おい」と私を止めた。

「可愛げのない弟め。……そちらの変わったお客人。顔を存じないが、ゆっくりしていくといい。邪魔をしなければ、直接危害を加えることはしない」

バスローブに身を包んだ章人は、大声で香を呼び付けた。慌てて駆け寄った香に「このグズめ」と叱責したのち、「ごゆっくり」と捨て台詞を吐き、奥の部屋へ消えていった。

「どうなってるんだ、ここの家族は。いつもこんなギスギスしてるのか」

私は建都の質問に答えぬまま、一階の客間に入り、ゆっくりと扉を閉めた。

「見ての通りだ。屋敷の中はご覧の有様。父、母、兄夫婦、姉夫婦、妹の静留しずるまで巻き込んでの争奪戦さ。唯一興味のないきぬ婆ちゃんだけが味方だよ」

私は開いたままになっていたカーテンを閉め、電動シャッターの電源を押す。すると数分もせぬうちに、照明の明かりだけが広がる空間となった。

「すぐ紫外線の出ない照明に替えますよ。紫都さんも、そのままでは疲れるでしょうし」

すると言葉の直後、図ったように部屋の扉が叩かれた。私は嫌々ながら、扉を静かに開けた。

 

-第六話へ続く-

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