ガスマスク五号室のDepression【第七話】

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「まず香の部屋に行きます。祖父の部屋は鍵が掛けてありますので」

私達は部屋を出て香の部屋を静かにノックをした。中から鍵を開ける音がし、隙間から香が顔を覗かせた。

「た、高之様。こんな時間に御用でしょうか」

「爺ちゃんの部屋に入りたいんだ。鍵を貸してほしいんだけど」

「か、鍵でございますか。え、と。鍵でございますが……」

なぜか香が口籠る。そしてばつの悪い顔で訴えるように私を見る。

「何か問題でも?」

「そうでは、そうではなくて……」

「何だ高之、こんな時間に。女中に夜這いでもかけるつもりか」

不意に後方から声を掛けられた。振り向けば、そこには髭を蓄えた男が立っていた。

「父さん……。別に良いだろう、俺が何をしていても」

「また勝手なことをしているのだろう。いつもそうだ、爺さんに毒され何一つ身につかん。ワインなど探している暇があったら、商売の一つも覚えんか」

「そんなこと、俺の勝手だろ」

「散々遊び回った挙句、碌でもない大学に入り無駄な時間を過ごしているではないか。金は誰が払ってると思ってる」

「……嘘だね、俺は一度だって父さんの世話になった覚えはない。俺に自由を許してくれたのは、全部爺ちゃんだ。それに今だって、どうにか家を保てているのも爺ちゃんのおかげだ。知ってんだよ。爺ちゃんが死んでから、一つとして仕事が上手くいってないことも。ウチは火の車、ここだっていつどうなるか分からない。そうだろ」

「それが親に言う台詞ですか!」

突然袖の扉が開き、奥から母親の斐が飛び出してきた。斐は腕を組む玄晃の横に並び、わなわなと肩を震わせた。

「母さんも分かってるはずだ。兄も姉も、全員揃いも揃って商才がない。やることなすこと的外れ、爺ちゃんが残した遺産を食いつぶしているだけだ。その遺産もそろそろ底をつきかけてる。だから皆、躍起になってあのワインを探してるんだろ。そんな下らない理由のために……。爺ちゃんが聞いたらさぞ嘆くだろうな」

「黙れ! 社会に出てもいないお前に何が分かる。伝統工芸を続けていく難しさがお前に分かるものか。爺さんの時代とは違うのだ。量産品が増え、相手となるノベルティもどんどん増えている。既存のブランド力だけで生き残れるほど、簡単な世界ではないのだ」

「詭弁だね。少なくとも爺ちゃんが生きてた八年前まで何ら問題なくできてたんだ。八年前はバブル後の最悪期だ。それでも爺ちゃんは質・量共に落とさず乗り切った。なのに今は何だよ、塵みたいな染付をブランドなんて陳腐な名前で売って……。あんたらの見てるのは焼き物じゃない、目の前の金だけだ」

「あんた父さんに何てことを!」

激高した斐が私の頬を張り倒した。私は甘んじてそれを受け入れた。

「爺ちゃんのワインは絶対渡さない。あれは爺ちゃんと曾祖父ちゃんのプライドだ。金になんか変えさせやしない」

「……ふん、お前にはほとほと嫌気が差した。いつまでも言っていろ。自分が如何に甘いか、すぐに分かる」

引きつった顔で香が玄晃の顔色を伺っている。見るに、どうやら玄晃が鍵を止めていたのだろう。

「そっちがその気なら、こっちにも考えがある。爺ちゃんのためにもフェアな勝負をしようと思ったけど、鍵がないんじゃ仕方がない」

私を見下した玄晃は、そのまま部屋に入ってしまった。斐はおろおろするばかりで、見かねた私が香に目で指示すると、黙って部屋へ戻っていった。

「良いのかよ。親父にあんな啖呵きって。親しき仲にも礼儀ありって言うだろ」

場から誰もいなくなるなり、心配した建都がそっと私に話しかけた。気にするなと一言添えた私は、気分を変え目の前に見えていたキッチンへ二人を案内した。

「ある程度の妨害はあるだろうが、これで自由に動けるさ。見たがっていたキッチン、紫都さんには悪いけど、二人の部屋以外はまだ専用の照明に変えてない。その格好のままで我慢してください」

恐れいりますと部屋に入った紫都は、ぐるりと部屋を見渡した。高級旅館のキッチンと見違えるほど片付いた厨房は、香の手が行き届き、チリの一つも落ちてはいない。

「綺麗なキッチンですこと。使っているお方の素養が見て取れますね」

冷蔵庫の中や調理器具に至るまで、しっかりと手入れされた物々が日頃の管理を物語っていた。

「うちは自分に甘く他人に厳しい人間ばかりだから。そこでやっている香は本当に凄いよ。家一番の才女だ」

私の言葉に肯定も否定もせず、紫都は適当に全てを見終え「ありがとうございました」と礼を言う。もう良いのかと問い直すも、紫都はもう結構ですと否定した。

「疑う訳じゃないが、ここはあなたが指定した三部屋の内の一つですよ。まだ五分も経っていないのに」

「この部屋にあるものは、全て香様の管理下にあるものばかりです。恐らく自分の使い易いよう管理しているのでしょう。ちなみに、香様はいつからこちらで?」

「かれこれ二十五年、この家に住んでいます。彼女の母が住み込みで働いていた関係で、子供の頃からずっとここに。歳は私より五つ上だから、私が生まれた頃にはもういたことになります。残念ながら彼女の母は私が小さい頃に亡くなってしまい、父親が元々いなかった関係で、私の祖母と祖父が家族の一員として可愛がっていました。ただ……、祖父が亡くなってからは肩身の狭い思いをさせてしまった。私の力がないばかりにね」

「なるほど。…………恐らくですが、この部屋にはありません。ちなみにそちらは冷温庫ですか? 見取図にそう書いてあったと思うのですが」

私は「ええ」と答え、冷温庫の扉を開けた。食材が一手に集められ、細かく管理されていた。

「業者用の冷温室と変わりません。ここは物を隠すような場所もありませんし、これといった設備も他にありません」

ブロック大に切られた肉の塊や野菜、他にも珍しい食材が所狭しと並べられていた。温度管理用機材の他は目立ったところもなく、ただコンクリートで固められた雑然とした空間だった。

「分かるでしょう? ここは私達が望むようなものはないですよ」

紫都は部屋の隅から隅を一通り見終え、「なるほど」と一つ呟いた。何かありましたかと聞くも、気にしないでくれと私を突き放した。

「ではワインセラーへ参りましょう。ここへ来る途中にあった部屋ですね」

紫都はキッチンから目と鼻の先に見えた扉を指さす。リネン室の並びに曽祖父が残したワイン専用部屋が見えていた。

「案内しますよ。ここだけは私が直接祖父に管理を任された場所ですから」

肌身離さず持ち歩いている部屋の鍵をポケットから取り出した私は、静かに鍵を開けた。少しだけひんやりとした暗闇の部屋へ二人を招くなり、また静かに扉を閉める。

「祖父こだわりの部屋でね。一年通して十三度に保つよう設計してある。ただ最近はワインの価値の分からない住民が、金の無駄と言い始めていますが」

家族の愚痴をこぼしながら部屋の中を案内した。部屋の中にはワイン以外にも様々な酒が置かれ、どれもが年代物で高価な物ばかりだった。

「種類、年代別にきちんと分けられてる。本数は多かったり少なかったりするけど、全年代間違いなく揃ってる。これなんて俺でも聞いたことあるぞ」

物欲しそうに眺める建都を尻目に、私は紫都を”例の場所”へ案内する。そこは歴代のロムニーが揃う一角で、四十五年を挟んだ全てのワインが一列に並べられていた。

「お伝えしたとおり、四十六年を除く全てのワインが揃っています。祖父が飲んだ物や買い足した物もあるとは思いますが、基本的に当時のままです。ただどこを見ても四十六年のロムニーはありません。私が見たことあるのも写真だけで、本当にここにあったかどうかも分かりません。……ですがあれだけこだわっていた祖父のことです。わざわざ劣悪な環境に晒しているはずがない。普通に考えればここにあるはずですが」

存在は遺書により白日の下に晒されている。しかし四十六年と明記された棚すら用意されてはいない。

「きっとここだろうと時間を掛けて探しました。しかしそれらしい場所も、空間も、品種もなかった。幸いパッケージロゴだけは分かっていますから、虱潰しに探すだけでしたが、それでも部屋からは何の証拠も出ませんでした」

全てを言い終わらぬうち、紫都は全体を眺め終え、また「なるほど」と呟いた。この人の目には何が映っているのだろう、私はそれだけが疑問だった。

「では最後の部屋に参りましょうか」

すると私の疑問も解決せぬうち、紫都が部屋を出ようとするではないか。今回はキッチンにいた時間より短く、ほんの二分しかたっていない。

「ちょっと待って。そんなにすぐ何が分かると言うんですか。初めてここに入ったはずです、一目見ただけで何が分かるんですか」

「何が? ……強いて言えば、今はこれ以上見る必要がない、とすばよろしいでしょうか」

答えにならない答えを残し、紫都は扉に手を掛けた。疑問符の消えない私は、部屋を出て行くマスクの女を、ただ訝しく見つめるだけだった。

私は少し荒く扉を閉め、後ろ手に鍵をかけた。電気の消えた廊下は暗く、庭から差し込む月の光だけが暗がりを照らしていた。

「爺さんの部屋は鍵が閉まってるんだろ」

建都が私の耳元で呟いた。どうやら気を使い、喧しく声を上げぬよう遠慮しているらしい。

「確かに”正面から入れない”だけさ。ついて来てください」

私は鍵の閉まった祖父の部屋の前を通過し、闇に浮かび上がる階段を上がった。あまり使われなくなったせいか、傷んだ床板がキシキシと音を上げた。

「部屋は一階なんだろ」

私は建都の言葉も聞かず、そのまま二階へ上り初めの角で立ち止まる。すぐ隣の部屋では兄の章人が休んでいる頃だろう。私は左へ曲がり、物置になった一室の扉を開けた。

 

-第八話へ続く-

 

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