ガスマスク五号室のDepression【第八話】

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「静かに入ってくれ。誰にも見つからないうちに」

物事は上手くいかないもので、部屋に入る間際、何者かが声をかけた。

「弟君、こんなところで何やってるわけ~?」

どうやら兄の嫁である花菜だった。暗い廊下では顔が見えないが、品のない話し方が全てを物語っている。

「花菜さん、まだ起きていたんですね」

「そりゃ起きてるっしょ。マジ見たいテレビとかあるし。元々アタシって夜の蝶系じゃん、こんな早く寝ることねっし」

花菜はこれでもかと盛られた名古屋巻きの頭を振り乱し、化物の様に長いネイルを光らせ、廊下中に響く声で下品に笑った。兄夫婦は結婚して一年にも満たないものの、既に倦怠期を迎えているようで寝室も別々だった。花菜は三十歳の章人より九つも若く、現在もブランド大好き現役キャバ嬢として錦の街を闊歩している。

「仕事じゃなかったんですか。昨日そんなこと言ってましたよね」

「ダルいから休んだ系? 今日太客もいねっし」

「それで何してるんですか。兄さんはもう寝ているでしょう」

「あ~、章人。知らねぇ、寝てんじゃねぇの。最近じゃ全然抱いてもくれないし、シクシク……」

聞きたくない兄妹の床事情に表情を歪ませながらも、私は誤魔化しのきかないこの状況を危惧していた。しかし何かを思い出した花菜が「ヤベ」と全てを消し去るような声を上げる。

「錦恋(名古屋で放送中のドラマ)始まっちゃうやん! あんたが喋りかけるからやぞ、はよせな」

一方的に話を打ち切った花菜は、バタバタとトイレに駆け込むなり、ジョロジョロと下品な音を鳴らし始める。品性の欠片もないなと呟く建都に、私は初めて頷いた。

「よくあんなのと結婚したな。お前の兄貴の見る目を疑うぜ」

図星を突かれた私は何も言えず黙殺した。言われなくとも、そんなことは私が一番分かっている。

「あの人は人間を顔でしか判断しない。美人で若ければ良いのさ。中身なんて興味もないに決まってる。何はともあれ、今のうちに。理由は後で説明するから」

これ以上見られるのはマズいと、私は紫都と建都を物置に押し込み、静かに扉を閉めた。

「おい建都。悪いが少しの間、部屋に誰も入ってこないよう見張っておいてくれ。覗かれると少々厄介なことになる」

命令された建都は見るからに不服な顔をした。しかし察知した紫都が建都の腕を掴めば仕方ないと折れるから滑稽だ。

「お前の命令を聞いていると思うと反吐が出る。なにかするならさっさとしろ」

私は雑然と物の置かれた一角を片付け、コツコツと床を叩く。不審な顔をする建都を残し、音の変わった床の一部を指の先で押した。すると離れた床板の反対側がせり上がるではないか。

「なんだよそれ。ひょっとして抜け道か? 忍者屋敷みたいだな」

それを見ていた紫都に手伝われ、私は床板を一枚外しそれを壁に立てかけた。そこには簡易的に作られた階段が見えていた。

「部屋の間取りを見てもらったと思うけど、実は祖父の部屋は一階と二階がぶち抜きで作られているんです。作りは一階も二階も同じなんですが、部屋と部屋の間部分、何故かちょっとした空間があるんですよ。絵で言うと、物置と祖父の部屋の間の黒くなっていた部分です。中学生の頃、ワインを探している時に見つけたんです。祖父は昔から茶目っ気がある人でした、きっと家族に内緒で作ったんだと思います」

しかしたった三段ばかりの階段を下ると、今度はすぐに壁にぶち当たった。祖父の部屋の壁に触れた私は、手慣れた様子で足元にある小さな穴から指を突っ込み手前に引いた。

「建都、そこのハシゴを取ってもらえるか。俺達は良いが、紫都さんは辛いだろうからな」

身体半分ほど開いた隙間から部屋の中を見渡せた。使っていない部屋は真っ暗だが、私にとっては勝手知ったる空間に違いはない。私は地面から二メートルほど高さのある隙間から足を出すと、勢い良く下に飛び降りた。

「ハシゴを渡してくれ。足場を作るから」

私は畳んだまま渡されたハシゴを広げ、物置から通じた隙間にそれを引っ掛けた。手探りで何とか部屋の照明を点ければ、部屋の中に明かりが灯った。

「紫都さんから先に。建都は物置の内鍵を掛けて、最後に下りてきてくれ」

恐る恐るハシゴを下る紫都の手を掴み抱えるよう地面に降ろした。建都はハシゴなどいらないとそのまま飛び出し見事に着地するなり、紫都の手を私から取り上げた。

「……どうぞご自由に見学ください。父と母は朝が早いため起きてくることはないと思います。見るものと言っても、祖父の残した染付やノベルティ、陶器ばかりですが。祖父は生粋の職人、瀬戸焼の促進しか考えていない人間でしたので。ワインのコレクションも、陶器の数に比べたら何てことはない」

部屋は個人の部屋と呼ぶには相応しくないほど物で溢れており、個人所有の博物館のような雰囲気を漂わす。焼物の数々はガラスケースに収められ、その一つ一つの詳細な情報までが記述されていた。建都は元々年寄りじみた趣味があるようで、食い入るようにそれらを眺めていた。

「素晴らしいコレクションをお持ちですね。こちらの古瀬戸の茶入れなど、私もお一つ持っておきたいものです」

シュコーシュコーと鳴らしながら一通り見終えた紫都は、突然ある一箇所で足を止めた。そこは本当になにも無い一角で、足を止めるような理由があるとは思えなかった。

「どうしましたか、そんな部屋の隅で」

紫都は不意にしゃがみ込み、コツコツと地面を叩いてみせる。全面に絨毯が敷かれた地面を撫でたり叩いたりする内、どうやら何かに辿り着く。

「高之様、こちらには何か別の空間がございますか?」

何を言い出したのかと私は困惑した。この部屋は一階と二階をぶち抜きで作られているため、ただ天井の高い一部屋でしかない。同時に我が家には地下もなく、絨毯の下がどうなっているかなど知るはずもない。

「え……と、下にはなにもないはずです。うちに地下室はありませんから」

「……ですがこの下。そうですね、ちょうど高之様がいる辺りから私が立っている二メートル四方。恐らく下に何かがあります。絨毯をずらしていただけますか」

「何故そんなことが分かるんですか」

ずっと不思議だった。この人は何故か初見の建物や行動を予見している節がある。少なくとも聞いておく必要がある、私の興味は一点だけだった。

「説明しておりませんでしたか。申し訳ございません。私の付けておりますこちらのマスク、実は色々と機能がございまして……」

紫都はボタンの上部に手をやり、ボタンを押した。すると不気味なほど真っ直ぐな赤色のレーザー光が、私の胸元を照らした。

「こちらは私の視点を知らせる視覚レーザーでございます。指で示す手間を減らすため取り付けた機能ですのよ」

語尾の上がった紫都は通気口を押さえ笑い始める。おおよそ事態を理解した私は、無表情のまま「なるほど」と二回呟いた。

「ゴーグルには暗視機能の他、サーモスコープ、マイクロスコープ、赤外線スコープに紫外線監視フィルタ、変わり種でゴルフスコープにジャイロスコープからファイバースコープ、おふざけのカレイドスコープまで、充実の機能が満載! 何と今なら全部合わせて三百五十万円!!」

頭を抱える建都を後ろに、両手を上げ大笑いしている。様々な無秩序状態を体験してきたが、これを超えるカオスに遭遇する機会は稀である。死んだ目をする私と建都を気にもせず、紫都はおかしな勢いのまま勝手に絨毯をめくり上げ、その下に眠る床を覗いた。

「ほら見なさい、あなた達! やっぱり私の作ったサーモスコープに狂いはなかったわ! オーホッホッホ」

外見からは見えない大いなる闇を抱えていそうな紫都を一旦置いておくとして、私は絨毯の下に見えた木で出来た蓋を覗き込む。全面がコンクリートで作られているとばかり思っていた床下に空間があるとは思ってもみなかったからだ。

「まさか床下収納庫か!? ……でも爺ちゃんならあり得る話だ」

中途半端だった絨毯を全て取り除き、改めてその全貌を見る。紫都の言う通り、二メートル四方の木板は、取手すらなくただ被せられているようだった

「どこから開けるんだ。紫都さん、分かりますか?」

私は傍らにいるはずの紫都へ振り向く。しかし紫都の姿はなく、建都が一人興味深げに木板を覗いていた。

「紫都さんどこ行った、さっきまでここにいたはずなのに」

建都も紫都を見ていなかったらしく行方が分からない。すると百二十畳ほどある部屋のちょうど反対側で音が聞こえてくるではないか。私は部屋に誰かが入ってきたと勘違いし、そちらを眺めた。

「あ、……紫都さん」

そこには何かを手にした紫都が立っていた。ぴょんぴょんと跳ねながら戻ってきたと思えば、何かを私に手渡した。

「恐らく、それで開けられるはずです」

渡されたのはコの字型をした金属板で、片側一片だけが取手のような形をしていた。「そこに差し込んでください」と言われるままに、取手の逆部分を板の端を沿わせれば、するすると隙間に入っていくではないか。

「後は取手を引っ張るだけです。さぁ、開けてみて下さい」

私は取手を掴み板を引っ張った。密閉されていた板が少しずつスライドしているのが分かった。

「開きそうだ。流石は紫都さんだ」

カポッと音をたてた板が外れ、地面下の空間が露わになる。ついにワインが見つかると期待する私と建都が板の隙間から顔を突っ込むと、そこには意外な物が眠っていた。

「なんだこりゃ?」

そこには大層綺麗に保存された人形が並んでいた。

「……これは」

見たところ、年代物らしき感はない。寧ろ新しい物のような気さえする。私は中の一体を床下収納から取り出し、縁の部分にそれを座らせた。

「なかなか精巧に作られた人形だな、関節もしっかり曲がるし、……あれ」

人形を裏返した瞬間、脳裏をふと何かが過った。そしてフル回転で結論を急いだ。

「……えと、紫都さん。申し訳ないですが、一旦物置に戻っていただけますか」

首を捻り不思議そうな様子を見せた紫都を横目に、私はそっと建都を見た。建都もその事実に気付いたのか、紫都の手を静かに取り、「一旦戻ろうか」と半ば強引にその場を引き離す。

紫都がハシゴを上り、建都がそっと扉を閉めるのを見届け、私は人形を元の場所に戻し、床下収納の板を戻した。

 

私は改めて深呼吸をした。
そして少しだけ涙を流した。

 

『 ダッ●ワイフ !! 』

 

永久に見なかったことにしよう。
軽蔑と虚しさを胸に、夜は更けていった

 

 

-第九話へ続く-

 

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